遊自耕83号

良い建築は業界の自己責任と
それを問う世論の高まりから

マスコミ報道に欠ける論点

2005年11月、私たち建築に従事する者にとって大変な事件が勃発しました。あの構造計算書偽造事件です。

この事件には多くの人物(会社・機関)が登場し、また、建築構造設計とか建築確認制度とかいった技術的・専門的なことがらに関するものであるため、一般市民にとってとてもわかりにくいものになっています。

登場人物が責任転嫁合戦をしているのを見ていると、浅い知識で無責任なことを語るのは避けるべきだと思いつつ、建築に関わる者としてやっぱり一言言いたくなりました。

元請設計者の責任

この事件の直接の実行犯は、言うまでもなく姉歯という一人の構造設計者で、彼が何らかの責任を負うべきであるということに異論はありません。

一方、今(05年12月2日現在)のマスコミの論調は、〔彼は下請設計者にすぎず、発注者から設計を依頼された元請設計者に大きな責任がある〕という視点が希薄であるように思うのです。

設計という業務は、大きく分けて「意匠(デザイン)」「構造」「設備」という業務から成り立っていますが、それぞれが高度に専門的な業務であるため、すべてを一人で行うのは不可能です。そこで、ほとんどの場合、意匠を担当する設計者が発注者からすべての業務を一括して引き受け、他の技術者に構造設計・設備設計を下請させ、それをまとめて一つの設計図書にして提出しています。

だから、当然この元請設計者が構造設計を含めた設計内容のすべてに責任を持つべきなのです。ところが、今回の事件では、元請設計者と施工会社や発注者(もしくはそのコンサルタント)とが密接に繋がっているケースが多いこともあり、「元請設計者」という立場や役割そのものに対する責任追求がなされていません。

設計の依頼を受けるときには「すべてお任せ下さい」と言い、自らの名を持って設計図書をまとめる者の責任は、極めて重大であるべきです。

建築確認制度について考える

もう一つ思うのは、建築確認をしたにもかかわらず偽造を発見できなかったと責められている、民間確認検査機関や特定行政庁(建築確認をする県や市のこと)の責任についてです。

〔建築主は、建築確認の申請をし「確認済証」の交付をうけなければ、工事に着手してはいけない〕というのが、現在のルールです。しかし、ここから〔「確認済証」を交付されればその設計内容は全く問題がない〕という誤解が生じています。

建築基準法には、〔建築主事(建築確認を行なう権限を持つ者)は、…建築基準関係規定に適合しないことを認めたとき…は、その旨およびその理由を記載した通知書を…交付しなければならない〕とあるだけで、〔適合しないことをすべて完全に指摘する義務がある〕とも〔確認済証を交付した設計の安全性を保証しなければならない〕とも記されていないのです。

なぜなら、本来この建築確認という制度は、〔建築士の力量不足を補うために官僚が設計内容を確認する〕という仕組みにすぎないからなのです。また、制度制定後55年を経過した現在、担当する官僚自体が高度に専門化した建築技術に対応できなくなっているのが実態であり、確認する権限は持ちながら責任は持たないという中途半端な制度なのです。

しかし、これがまさに建築確認という制度であり、この制度によっては特定行政庁やその代行をしている民間確認検査機関に責任を問うことはできません。マンションの購入者やその近隣住民の生命や財産の保護のための対策は、現状の制度において誰に責任があるかという問題とは別に考える必要があります。

対応を誤らないように

この事件をきっかけに、早速、行政の指導・監督強化の声が上がっています。しかし、これを設計者のモラルの問題とし、取締りを強化するだけでは、問題は解決しません。

まずは、何の保証もできないのに「お墨付き」と誤解される建築確認という制度を見直すことでしょう。その上で、〔設計を行う権限と設計内容についての責任は、すべて元請設計者にある〕という認識を一般市民の間に定着させるとともに、その実効性を高める諸制度を充実させることが必要でしょう。

(そうなれば、設計の全てに責任を持つか否かということが、建築主が設計者を選択する重要なポイントとなり、責任を回避する設計者は淘汰されることになります。)

そして付け加えるならば、施工者についても〔設計されたものをそのとおりに建てればよい〕というのではなく、〔造った建物のすべてについて責任を負う〕者に、高い評価を与えるべきでしょう。

最後に、「安いもの=悪いもの」という風潮が高まって規制や基準を無用に強化する方向に進まないよう、この事件の本質の解明を願って止みません。

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